2017年2月19日日曜日

青年の島と結んだ絆



CUBAPON(日本キューバ連帯委員会)は2008年に、日系人で農業を営んでいる人が多い青年の島で稲作支援を行うことを決め、2011年には、外務省の「草の根無償資金協力」を活用し、国際NGO「ムンド・バット」を通じておよそ8万ユーロ相当の農機具を島に届けるため調整を進めてきた。
農機具がハバナのマリエル港に陸揚げされたのは2016年1月。それから島の対岸のバタバノ港に運ばれ、そこでまた数カ月、「今か今か」と待ちに待って、5月になってようやく島に届いたとのメールがきた。

そして、昨年11月。
「第19回キューバ友好訪問団」で青年の島を訪れ、それらの農機具を見ることができた。


農機は、プロジェクトのカウンターパート、青年の島ヘスス・モンタネ大学、青年の島日系人会、農家の皆さんで話し合いで決めた家に保管されていた。
昨年の農繁期には間に合わなかったそうで、まだ新品の状態だったが、今年の農繁期にはしっかり活躍してくれることだろう。

完成予定図と申請に必要な書類の一部
CUBAPONの正式なプロジェクトではないが、有志の中で、青年の島日系人会本部「友好の家」建設支援計画も進んでいる。
キューバでこうした建物を建てる場合の手続きも、どれだけの資金が必要か、どれだけの期間がかかるのか、まったく手探りの状態で進んできた。
そんな中、2015年12月、膵臓ガンで逝去されたCUBAPON事務局長、松矢文男氏が最後まで「島にぜひ友好の家を建ててほしい」と言い続けておられたこともあって、どうしても実現させなければ!という気運が高まった。
現在は、ヘロナ市内に土地を確保し政府との契約も済んでおり、また平面図等は出来上がっている。今後、建築許可、材料の見積り、そして最大の難題である資材調達と、クリアしなければならない課題は多いが、何とか実現できればと思う。
青年の島に日系人が多いのは、先の第2次世界大戦で日系移民はプレシディオ・モデロ収容所に強制収容され、その後定住したためであり、この地に日系人の「友好の家」を建設することは大変意義深いものがある。

島に滞在したのはわずかに1泊2日。
朝一番の飛行機でやって来て、翌日、日が明けないうちに空港へ向かう私たちに、日系人会のミヤザワ・ノボル会長はじめ、親しい友人たちがずっと付き添ってくれた。
また、ホテル・食事・バスの手配、訪問先の対応と、完璧に準備して迎えてくれたことが随所で伝わる。

青年の島が日程に入っていると、行程が俄然ハードになる。深夜にハバナに着いて、ホテルにチェックインするものの荷物をほどく間もなく国内線空港に向かうのは正直ツライ。
ただ、そのツラさを補って余りあるステキな人たちとの出会いがある、それが La Isla de la juventud、青年の島だ。



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